1. 木村泉先生/プログラム書法(初版)
ブライアン W. カーニハン、 P. J. ブローガー 原著は 1974年, 翻訳は 1976年8月
まえがきの最後の段落に:
「本書は、原稿を直接 PDP 11/45 電子計算機に打ち込み、原文の編集をおこない、 プログラムをチェックし、最終版を自動社食にかけるという方法で作成することが できたが、...] とあり、 UNIXの作者である K. J. Thompson, D. M. Ritchie への謝辞がある。
手元にUNIXが欲しいと思ったものである。
日本では漢字プリンターなどはまだ作られていなかった。
TeXが使えるようになったのはいつだったか。
- Pascalで書かれたソース(MT)をメインフレームで部分的に動かした記憶があるから、
もうすこしあとの話か。
木村先生には著書を何冊も戴いた。ただし、この本は自前で購入した数少ない一冊だ。 書き込みをしながら読んだ。 いつだったか、書き込みを見つかって、見せて欲しいといわれてお貸しした。
- いくつかの書き込みには返事をいただいた。
訳者まえがきのなかにあった文に、「広告」 (前野) とコメントしたら、 「広告したいくらいでなくちゃ訳し甲斐がない」という返事があって、なるほどと感心した。
その後の翻訳本もそういう主旨で選ばれているのだろう。(と言っても、ワインバーグさんのもの以外は知らない。)
まえがきには訳についてこう書かれている。
「(著者が)はじめから日本語で著作を進めているかのごとき錯覚を、
- 読者にいだかせることができたとすれば、訳者としてよろこびこれに過ぎるものはない。
こういう、思想とでもいうべきものを含む書物は、訳すとすればそのように訳すべきだ、 というのが訳者の持論である。」
当時、某書の翻訳に関して、酷評されていたのと合わせて合点がいったものである。